昼頃、ビジャから「大切なお知らせ」Twitteが。あぁ、引退かよと年齢を調べ直したら、37歳。Jではまだまだバリバリ活躍してるとはいえ、「もうやりきったよ」気分になるには十分な御年
Jには先にトーレスとイニエスタが来てたので、ビジャ加入のニュースは先2名と比べるとインパクトに欠けたけど、あの日の私からしたら全く信じられない移籍だった
あの日とは、MestallaでVillaを見てた頃からしたら
私がValenciaに滞在してた頃、何度もEstadio Metallaに足を運んでた。Liga española、今風に言えばラリーガと言えばマドリーとバルサの為のリーグと言っても過言じゃないが、Valeniciaに居る以上は、その2強を応援する訳に行かなかった
何より、毎試合現地観戦出来る(サイフが許せば)のに、地元チームを応援しない手は無い、と自然にVCF、バレンシア クルブ デ フッボルに肩入れするようになったが、結果的にこれが大正解
何故なら、当時のスペイン代表(の)チームはマドリーでもバルサでもなく、バレンシアだった、から
当時も今と変わらずリーガの主役は2強。El Galáctico、銀河系軍団のマドリー。ご存じの通り、世界中からスターをかき集めたチーム。という事は必然的にスペイン人の席は少なく、RaúlとCasillas、それとSergio Ramosが気を吐く程度
ライバルのバルサも、状況は似たようなもの。鉄板レギュラーはXaviとPuyolぐらい。Iniestaはまだ台頭しておらず、Valdesはバルサでは不動の正GKだが代表では万年2番手だった
こんな、せいぜい3名程度の代表選手しかだせないツマラナイ2クラブを尻目に、最多で6名も代表選手を出してたクラブが、何を隠そうVCF
Albelda、Barajaのドブレピボーテ。新進気鋭のDavid SilvaとRaúl Albiol。恐らく"記念出走"だったけど選ばれた10番Angulo、そして Pichichi、得点王のDavid Villa!
何の事はない。「マドリーやバルサに行ってもスタメン取れないし」と、当時3番手チームのバレンシアにスペイン代表が集まって来てたのだ
ちなみに今では地球の裏側までやって来る彼らだが、当時はスペインから出る一流選手は稀。「Cescってあの若さでイングランドに行って変な奴だな」とか言われてた
その頃の私に「将来イニエスタ、トーレス、ビジャがJリーグでプレーするで」と言う人が居たら、迷わず精神病院を紹介してあげたのだが、時は流れてフッボル界の情勢も代わりに代わり(あの御大リッピが志那で監督したりとか)、現実にビジャが神戸の地を踏み、そして神戸で選手キャリアを終える
まぁ、彼がホントに日本に来る気になったのは、あの日の私の一言を忘れてなかったからであろう...
(続く)