'24U23アジアカップFinal こんなところにハネケンが

諦めの悪い私は「ひょっとしたら決勝戦で不死鳥の如く西尾がスタメン復活…」なんて考えてたが、”勝ってる時はスタメン弄らん”のサッカー常識もあるし、まぁ現実はそんな甘い事はないよね

 

まぁ大岩としても準決勝で”義理”は果たしてるから妙な采配する必要もないし、その決勝は目出度く零封勝利となって、つまりはこの試合のCBコンビは本大会も選出濃厚。どうせOAでCB1名起用するやろうから、これで西尾の五輪への道は終了(泣) 本番はまた他所の選手となった藤尾を追っかけるぐらいしか楽しみはないか~、って思ってたがもう一人、桜印が表彰式に映ってるやないか

 

羽田憲司、激動の'09シーズンのJ2準優勝メンバーの1人である。アントラーズにコーチとして戻ってからあまり気にしてなかったけど、何とU23代表のコーチになってたんか

 

同選手は名門市船出身で、キャプテンとして選手権優勝からアントラーズ入りと、まだまだユース出より高卒の方がハバを利かしてた時代を考えると超一級のエリート選手である

 

そんな日本サッカー界メインストリートな選手が、何で当時マイナーな存在(しかも2部)だったセレッソに来たかというと、怪我で長期離脱して出場機会を求めて

 

そう書くとありがちな話に思えるが、その辺りの経緯に興味があってアントラーズ関連の本を読んだのだが、いやぁサッカー選手の怪我って厄介やなぁ、そりゃエリート選手でも2部だろうが縁もゆかりも無かろうが大阪来るでって思ったわ

 

それぐらい当時としては異例な移籍だったのだが、やっぱり当時のセレッソアントラーズでは何もかも違ったようで、「ヌルすぎてすぐ帰ろうかと思った(意訳)」みたいに思われたのに、4シーズンもセレッソに居てくれて、しかも前述のJ1昇格となった'09年にはキャプテンとして活躍してくれた

 

で、引退後はセレッソでコーチになって、”自前監督”が皆無なセレッソとしては将来の監督候補と個人的には考えてた筈だが、そこはやっぱり鹿島ブランドに勝てず「鹿島でコーチになれるのはめったにない事」と言われては手放さずを得ず、涙のお別れとなった

 

その後、「まぁ、このまま鹿島で監督コース歩むんやろうなぁ」と私の興味から外れて気にしてなかったんやが、何か松本山雅に行った?とか、そこでの働きがイマイチとか風の噂に聞くぐらいで、セレッソにアシスタントコーチとして戻ってた事すら忘れていた(笑)

 

今回のU23アジアカップ優勝の実績で今後の指導者としての選択肢は広がったと思うけど、その中にセレッソ監督も入れといてほしいな。試合後の表彰式でハネケンが居る事に気付いたぐらいやから指導者としてどんな実力があるかとか全然知らんけど、まぁシロート監督と酷評してた小菊サンがここまでこぎ着けたんやから、ハネケンもどうなるか分からんし

 

セレッソからヴィッセルに移籍する事になった時の、有志によるお別れセレモニーは忘れんで。とてもJリーガーの移籍イベントと思えん、体育館みたいな場所でラフな格好で手にメガホン持ってのあの姿、あれこそいい意味でのヌルいセレッソの本質が凝縮してたんやから

 

あれがやれたって事は、キャプテンにも桜色の血が何パーセントか入ってるって